【第7回】川内優輝さん:陸上長距離選手
プロフィール
川内優輝さん(32歳)
1987年3月5日生まれ(東京都世田谷区出身)。
砂原小1年次に陸上を始め、鷲宮中、春日部東高、学習院大と陸上競技部に所属。
箱根駅伝にも関東学生選抜(現:関東学生連合)6区として2度出場。
2009年に埼玉県庁に入庁後もフルタイム勤務の市民ランナーとして競技を続け、これまでに招待選手やゲストランナーとして250回以上(一般参加等も含めると600回以上)のレースに出場。フルマラソンはすべて30及び30位以内で完走しており、サブ10の世界最短間隔記録(中13日)や日本人最多記録(13回)なども樹立している。また、フルマラソンのサブ12~サブ20の1分刻みの達成回数は全て世界一であり、現在も記録を更新し続けている。2019年4月にプロランナーに転向した。
令和2年度和光市表彰スポーツ功労を受賞
10月30日(金曜日)、市内在住の川内優輝選手が和光市表彰スポーツ功労を受賞されました。
受賞に際し、喜びの声と、今後の抱負について語られました。
インタビュー
陸上を始めたきっかけは何ですか?
小学1年生の時に両親に勧められてちびっこ健康マラソンに参加をしたのがきっかけです。その大会で5位という成績を残し、もっと練習すれば速くなると思い、1年間毎日練習をしたら2位まで順位をあげることができました。そのため、引き続き毎日練習をするようになりました。
幼い頃はどんな子どもでしたか?
どちらかというと昼休みは外に遊びに行かずに教室にこもって絵を描いていたり、友だちと話したりしていたインドア派でした。体育の時間もあまり好きではありませんでした。
数多くある陸上種目の中で長距離種目を選んだのはなぜですか?
陸上を始めたきっかけが長距離走ということもありますが、私自身元々、短距離走が遅くて、他のスポーツも得意ではありませんでした。実際、中学校・高校と体育のスポーツテストはほとんどCでした。そんな中、唯一長距離走だけは練習を重ねるたびに少しずつ強くなれたこともあり、長距離走を選びました。当時は誰も日本代表になるとは思っていなかったと思います。
大学時代に箱根駅伝で勾配が激しい6区を走られたということですが、大変だったことはありますか?
初めて出場した時には、富士屋ホテル付近で腿の後ろがつりそうになり、危ない状況で何とか走り切ったのですが、2回目は駅伝に向けて走りこんで挑んだので、足の皮一枚剥けず、血豆もできませんでした。それどころか、箱根が終わった4~5日後からは強度の高い練習も再開し、1か月後にはフルマラソンの大会にも出場していました。
マラソンの魅力を教えてください
幼い頃は自己記録を更新したり、勝って嬉しいというところが大きかったのですが、今になって思うと、目標が人によって違うことが一番の魅力ではないかと思います。他のスポーツであれば、試合に出て勝たなくてないけないということが多いと思いますが、マラソンの場合は、ある人は表彰台に立ちたい、ある人はレースに出て完走したいなど、その人によって無限に目標が決められます。また、様々なレースで、世界でメダルを取るような選手と一般ランナーが一緒に走れることも魅力ではないかと思います。
なぜプロランナーへの転向を決めたのでしょうか?
理由は4つあります。
1つ目は、2013年から自己記録を全く更新できていなくて、自分自身が現役として記録が狙える選手としてやっていけるのがあと何年かと考えた時に、今プロに転向すれば、まだいけるぞという想いがあったからです。
2つ目は、ボストンマラソン優勝も含めて、いくつかの大会で結果を残してきたことで、海外のレースに招待されるようになりました。知らない世界をもっと知りたいという想いが強くなったのですが、仕事を持っていると、職場に穴をあけるわけにはいかないので、頻繁に海外遠征するというのも難しいですし、海外レースに出るための過密なスケジュールも、若い時には何とか頑張れましたが、だんだんそれも苦しくなって、治療や精神的にも休まる時間が欲しいと考えました。
3つ目は、日本全国、世界各国のレースに出ていたのですが、様々な大会で地域の方から「来てくれてありがとう」などの声をかけていただいているうちに、自分は現役選手で活躍しているからこそ喜んでもらえる、逆に言えば、現役のトップ選手というのは、なかなか山奥や小さい大会には出場していないのではないかと考えました。であれば、自分が力があるうちに、そういったところに行って本物の走りを見せたいと思っていました。ですがやはり、仕事をしていると週末の限られた時間にしかいろいろな地域に行けません。公務員だったらできない、マラソンを通じた活動でやりたいことがたくさんあったことも理由の一つです。
4つ目は、埼玉県庁に入庁して10年目という昇進試験や異動がある節目の時期を迎え、もしプロになるのであれば、このタイミングではないのかと考えました。また、当時の勤め先でもある久喜高校の100周年式の事業をやり終えた際に、公務員として勤めをを果たしたという気持ちになり、そういった複合的な要素もあり、プロへの転向を決断しました。もっと早くプロになった方が良いという人もいましたが、早く辞めていたらそういった公務員としての充実感もありませんでしたし、職場に迷惑が掛かったと思うので、10年という区切りがちょうどいいタイミングだったと思います。
あいおいニッセイ同和損害保険株式会社に所属を決めたのはなぜですか?
一番初めは学習院大学の大先輩があいおいニッセイ同和損害保険株式会社に勤めていたのがきっかけでした。私は毎年福島県にある川内村の大会に川内という名前の繋がりで、ゲストランナーとして呼ばれていたのですが、大会のメインスポンサーがあいおいニッセイ同和損害保険株式会社ということもあって、その先輩から「うちの会社もスポンサーに興味があるようだからスポーツ担当の責任者に一回会ってみないか」ということでお話がありました。そこで、実際にお会いした際に担当の方にまず言われたことが、「川内さんにはもちろん日本代表でオリンピックに出て欲しいし、記録を伸ばして欲しい。けれども、私たちはそればかりではなく、マラソンを中心に何かイベントや講演を組み合わせたりして、地域を盛り上げる地域貢献をしたいから、川内さんとスポンサーシップを結びたいんだ」という言葉をいただきました。それを聞いた瞬間に、他の候補企業と違って、私がプロとしてやりたいことと全く一緒ではないかと思い、決定しました。
走るうえで大切なことを教えてください
まず一番大事なことはけがをしないことですね。また、楽しさという部分では、色んな楽しさがあります。それは人によって違っていて、ゴールテープを切る瞬間が楽しい人もいれば、風を切っている時が楽しいという人もいます。自分にとっての走ることでの楽しさというものを見つけた時に、自分は自分、人は人というように、心に正直になれると楽しくなるのではないかと思います。私は趣味が旅行なので遠征が大好きで、レースは練習と言いながら、毎週日本全国に行っていました。初めの頃はいろいろな人から、そんなにレースばかり出ていたら、移動だけで疲れてしまうのではないかと否定されることも多かったのですが、私の中では旅行が好きだから、移動自体が楽しいと自分の道を貫いていました。すると、どんどん競技結果も伸びて、自分自身の陸上ももっと楽しくなっていったので、自分の心に正直になることが大事ではないかと考えています。
住まいを和光市とした理由はありますか?
一つのきっかけは結婚です。これまでずっと実家で暮らしていて、結婚を機に実家を出ることになったのですが、県庁に10年勤めていたことや、20年以上埼玉に住んでいることから、やはり東京に行くより埼玉県内に住みたいというのが自分の中でありました。そこで、県内でどこか良いところはないかとネットの住みやすさランキングなどで見ている中で、候補の一つに和光市があがりました。
住まいを和光市とした理由の1点目は、練習環境が充実しているところです。市内には樹林公園の芝やランニングコースがありますし、道路を一本挟めば大泉の陸上競技場のトラックもあります。逆方面に向かっていけば、戸田の荒川や彩湖のロングコースと、あらゆる練習環境が揃っています。
2点目は、交通の利便性が良かったというところです。池袋、新宿、渋谷、横浜は全部乗り換えなしの一本で行くことができ、さらに豊洲方面も行けます。また、羽田空港・成田空港に直通のバスがあることを知り、「えっ!和光市ってこんなに便利なの!?」とすごく惹かれました。埼玉県庁勤務時代から毎週のように自宅と空港を電車で往復していて、場合によっては通勤の時間帯に大きいスーツケースを持って、すごく大変な思いをしながら、階段の昇り降りなどもしていたので、空港までバスが出ている和光市は魅力的でした。
本当に和光市は、埼玉県を象徴するような市だと思います。東京にすごく近いので、交通の利便性が良かったり、充実したお店があったり、いろいろなことが発展していますが、樹林公園や新倉の自然豊かな土地がある埼玉らしさも兼ね備えた都市なので、1年ちょっと住んでみて間違いじゃなかったと、和光市に移り住んで良かったと妻と常々話しています。
住んでみて和光市の印象は変わりましたか?
想像以上に便利ですし、想像以上に必要なものが揃っています。私たちが住み始めてからも、新しい駅ビルが建ったり、電車の乗り入れももっと奥まで行けるようになったり、様々な面で発展していて、どんどん未来が開けていると感じています。そういった楽しさはある意味マラソンにも共通していて、マラソンも目標がたくさんあるから頑張っていけるので、自分が上を目指していこうという時に、どんどん上を目指していこうという和光市とはすごく相性がいいのかなと住んでみて思いました。
市内の飲食店などは利用されましたか?
美味しいお店があり過ぎてお気に入りのお店が絞り切れないですが、駅周辺にはイタリアンも3軒、4軒ありますし、ランチもすごくお手頃な金額で、都内だったら高いんだろうなというところがあちこちにあります。それ以外にもチェーン系は大体一通り揃っていますね。みんな和光市がグルメなまちであることを知らないのですが、調べれば調べるほどあらゆるものが揃っていて、そういったグルメな都市なところも和光市を気に入っているところです。緊急事態宣言中に、約3か月間、公共交通機関に一切乗らず、昼食と練習以外は外出せずに、ほぼ和光市の自宅周辺だけで生活していた時にも、市内の様々なお店が心の支えになりました。
オフの日は何をしていますか?
基本オフはあまりないのですが、市内の極楽湯に行ったりしています。ちょうど駅前から出ているバスを利用すると、タオル一枚でフラフラっと行けて便利です。
マラソン以外の趣味や好きなことはありますか?
最近は忙しくてそんなに行けていませんが、カラオケが趣味で、時々行ったりしています。
今後の目標について、教えてください
第一は、プロ転向の理由でもある自己ベストの更新です。一番はフルマラソンで記録を更新したいと思っているのですが、それ以外のハーフマラソンや1万メートル、5千メートルであっても、とにかく更新できるものはチャンスがあるうちに、更新していきたいです。また、もちろん2022年のユージーン世界陸上に出場できればいいですが、それ以外にも、ボストンマラソンや様々な海外マラソンからオファーが来ているので、そういったレースで積極的に勝負をしていって、やれるぞっというところを世界中に見せていきたいです。さらに、レースは練習と言いながらも、いろいろな地域を旅して、知らない世界を知りながら、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社と協力して地域貢献もしていきたいと思います。
市民の方へのメッセージ
和光市は他の都市と比べてもすごく素晴らしい都市だと思います。そういった素晴らしい都市というのは、市民一人ひとりの活動の結果や、日ごろの生活のおかげだと思っています。もしかしたら埼玉県の場合には、東京へ通う人が多く、地元に郷土愛が少ない人が多いかもしれません。ですが、和光市を見てみると、すごく郷土愛を育めるような素地があるので、この和光市というところを好きになっていただき、住んでいる場所を聞かれた時に自信をもって「和光です!」と言える人がもっと増えるといいなと思います。
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