令和元年度和光市平和祈念事業

2022年03月17日 17時01分

 和光市では、戦争の悲惨さや平和の大切さを語り伝えることを目的として、毎年平和祈念事業を行っています。

 今年は「『ぼくは風船爆弾』に込めた平和への祈り」をテーマとした「平和祈念講演会」、ヒロシマ・ナガサキの原爆などをテーマとした「平和祈念パネル展示会」を開催しました。

平和祈念パネル展示会を開催しました

 令和元年10月2日(水曜日)~10月14日(月曜日)、和光市民文化センター企画展示室・展示ホールにて平和祈念パネル展を開催し、922人の方にご来場いただきました。(※10月12日(土曜日)及び13日(日曜日)は、台風のため開館を中止しました。) 

 会場には、「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真ポスター」の展示のほか、「被爆体験証言者と高校生の共同制作による原爆の絵」の展示、 和光市での戦争体験を描いた絵本「あの日の空色」(和光市文化団体連合会作成)内容紹介、被爆アオギリ(広島)、クスノキ(長崎)と市内に植樹されたそれぞれの2世樹木の写真などを展示しました。

 また、展示とあわせ、DVD「いわたくんちのおばあちゃん~ぼく、戦争せんけえね」、「ヒロシマ 被爆者からの伝言」、「The A-bomb ヒロシマで何が起こったか」の上映を行い、期間中98人の方が視聴されました。

 終戦から74年経過し、人々の記憶から戦争の惨禍が忘れ去られようとしている現在、 戦争の悲惨さ、平和の尊さを改めて考える機会としていただきたいと思います。

 ご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。 

  
<来場者アンケートより(抜粋)>

・写真だけではなく、被爆者の証言をもとに高校生が描いた絵もとても印象に残った。写真は白黒だとどうしてもリアリティに欠けることろがあるが、色のついた絵の方がより生々しさを感じ、その人の見た現実がすさまじいものだったと思いを寄せることができた。

・戦争中に生まれた者として当時の頃を思い出します。原爆の経験はありませんが、戦争は絶対にしてはなりません。パネル展を見てつくづく考えさせられました。風化させてはいけません。

・被爆アオギリ二世とクスノキ二世が大変大きく成長している様子を拝見し、驚きました。

・30代世代だと、戦争体験を語れる身近な人がまだいたように思うが、20代、10代には身近にはいなくなっているように思う。”生の声”を聞けない世代にどう伝えていくか。親世代の大きな課題だと思う。

・毎年展示会をしてくださりありがとうございます。 

 

 アンケートにご協力いただきました皆様、ありがとうございました。

 

平和祈念講演会

 令和元年10月7日(月曜日)、大和中学校体育館において平和祈念講演会が開催されました。

 講師として『ぼくは風船爆弾』の著者である作家の高橋光子様をお迎えし、「『ぼくは「風船爆弾』に込めた平和への祈り」と題してご講演をいただきました。会場には大和中学校783人、一般26人の方が来場されました。

    
   

 講演では風船爆弾とはどのようなものかをはじめ、高橋様が戦時中、女学生だった時に風船爆弾の気球貼りの仕事に従事されていた時のお話や、著書『ぼくは風船爆弾』の執筆に至った経緯や本に込めた平和への祈りについてのお話などをいただきました。

 また、風船爆弾は戦争当時、和光市(当時の大和町)周辺でも作らており、そこで女学生だった時に気球貼りの仕事に従事された、和光市在住の冨澤つ祢様にもご登壇いただき、 心境や当時の和光市周辺がどのような状況であったかなどお話をいただきました。

 短い時間ではありましたが、戦争を体験された方の講演を聞くことができる貴重な時間となり、今回の講演会を通じて、改めて戦争の悲惨さ、平和の尊さを考える機会となりました。

 ご講演いただきました高橋様、冨澤様、ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました。

 

 <来場者アンケートより(抜粋)>

 ・直接、風船爆弾を作った体験を伺えて、貴重なお話に感動しました。日本の和紙とこんにゃくのりの爆弾とアメリカの原子爆弾の違いにも、ご高齢の中、講演をしてくださり感謝しています。

 ・この70余年、戦争で亡くなった人はなし、息子を亡くし悲しむ親族もないこと、胸を打ちました。戦争は絶対あってはなりません。戦争を憎みます。

 ・高橋さんの「何のために女学校に行っていたのか!!」という言葉が重く感じました。今は本当に恵まれています。 

 ・戦争は絶対二度と起こしてはいけない、また強く思いました。若い中学生にも心に届いてほしい。 

 ・中学生を対象とした講演会を続けていただきたい。講演を聴く姿勢が素晴らしかった。

  

 アンケートにご協力いただきました皆様、ありがとうございました。

 

 

<大和中学校生徒感想(抜粋)> 

・このような機会をいただいて、初めて風船爆弾というものを知りました。女学生が勉強するために行っていた学校も取り上げられ労働されていたことがとても心を痛めました。私達は戦争を経験していないため、勉強などもやりたくないと思っていましたが、昔は毎日人が死に陥るようなものを作らせていたと聞いて驚きました。私たちはもっと勉強し、平和な世界を作り上げたいと思いました。

・本日の講演会では貴重なお話を聞かせてもらえたので、このことも後に伝えられたら伝えていきたいと思った。 原爆以外でこういう話を聞いたのは初めてでした。また機会があれば聞いてみたいと思った。風船爆弾で敵地のアメリカ大陸まで飛ばす技術はとてもすごいことなんだと思いました。これからの時代はこのようなことがないように戦争のつらさが伝わったらいいことなのかと思いました。

・本日はとても貴重なお話をいただき、ありがとうございました。やはり戦争の辛さは体験された方にしか分からない辛さもありますが、体験された方の口からこんなことを戦時中にしただけではなく、その時の心境も一緒に教えてくださったので、今までより戦争の辛さを理解できた気がします。たまに戦争の特集の番組を見たりするので、今日のお話を思い出しながら見ようと思います。今日でさらに戦争は二度としてはいけないなと心から思いました。

・日本が作っていた爆弾のこと、和光市周辺がその爆弾の製作に関わっていたことを知れてよかったです。家族が戦死した人の心境や学生でも学べずに働かなくてはならなかったことを聞いて、今、学校に行けることの幸せを改めて実感しました。

・僕はおばあちゃんとおじいちゃんに戦争について聞いたことがありますが、おばあちゃんは生まれてなく、おじいちゃんは赤ちゃんだったので身内から戦争の話を聞いたことがありません。なのでこのような話を聞くと本当にありがたいと思います。さらに戦争というと一番に出るのが原子爆弾や東京大空襲のことなので、女学生が工場で働かされていた時の話も聞けてよかったです。高橋さんの話は他の人と違い、 日本の悪いところばかりを言うのではなく、日本の技術力の素晴らしさなどいろいろなことを話してくれました。なので飽きることなくとても有意義な時間にすることができました。

 

講演者 

  高橋 光子 (たかはし みつこ) 氏

  作家。「『ぼくは風船爆弾』著者。

 

 

 ●プロフィール ●

 1928年愛媛県生まれ。愛媛県立川之江高等女学校を卒業。
 テレビ、ラジオの脚本の仕事を経て、1965年「蝶の季節」で文学界新人賞受賞。同作で芥川賞候補。
 1972年『遺る罪は在らじと』で2度目の候補。
 その後、上条由紀の名でジュニア小説を執筆。1993年『高畠華宵とのその兄』で潮賞ノンフィクション部門優秀賞受賞。
 女学生のときに風船爆弾の気球貼りの仕事に従事。のちに同級生の手記を集めた『風船爆弾を作った日々』を編集。

 90歳になった昨年、『ぼくは風船爆弾』を出版。 

  

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