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まちの見聞特派員レポート 広報わこう平成27年3月号掲載記事

2015年08月07日 10時29分

夢を育む町 大船渡

まちの見聞特派員 都築 和枝

 

 昨年3月に社協主催の「つながりカフェ」という催しがありました。そこで私は、和光市が3.11で被災した岩手県大船渡市へ職員を1名派遣している事を初めて知ったのです。
 現地からいらした小川さんの大津波の話も深く心に残りました。やがてその現地をこの眼で見たい!という想いが湧いてきたのです。そして半年後に実現。2泊3日の取材で多くの人と出会わせていただきました。戸田市長、あの小川さん、詩人の簡さん、派遣職員の秋元佑介さん等々、感謝します。
 様々な立場の人と言葉を交わして私は改めて思いました。人ってすばらしい。大きな困難を乗り越えてこうして淡々と生きておられる。生き方の達人のような人達だと。
 国の内外から駆け付けたボランティアさんの中に和光の市民もいました。何回か通ううちに生まれたのが「渡和の会」です。この会が現地社協の方々にとても感謝される支援を続けていると聞き、現場を見せてもらいました。
 沢山のガレキの中から出てくるアルバム達。この中の汚れた写真を一枚一枚丁寧に洗って綺麗にして元の持主に返してあげる。すでに45万枚位が返却済。持主を待っている5万枚ほどの写真が整理整頓されて並んでいました。このとてつもない根気と愛の必要な仕事をやりとげている人達、その笑顔の明るさ。
 復興事業のトップで働く戸田市長は和光市の物心両面の援助に心から感謝しておられました。これからもどうぞ復興の有様を見続けてほしい、と。大船渡さん、みてますよ!
大船渡市の花 椿    写真を洗浄している様子
大船渡市の花:椿    写真を丁寧に洗っている様子

続き:派遣職員・秋元佑介さんの職場 

 秋元さんの派遣先は教育委員会事務局・学校教育課というお部屋でした。そこで小中学生の通学や部活動・体育の授業などで使うスクールバスの手配業務などをしています。
 上司の千田さんは大津波の時、陸前高田市の小学校の先生だった人で、とても背の高い温厚な方です。彼のご配慮で秋元さんの道案内をいただきスムーズな取材となりました。感謝でした。

 東北新幹線はやて111号・水沢江刺駅9時43分着。予定通り無事に秋元さんにお会いして、2泊3日の取材の始まりです。初めに大船渡市役所、YSセンター、カメリアホール、リアスホール、赤崎小学校、赤崎中学校、ふれあいランド、FM局ねまらいん、碁石海岸レストハウスなど。

 秋元さんはランニングが好きで海岸線を走る時の心地よさを話してくれました。職場の人たちと夏まつりの踊りの輪に入って思い切り踊ったこと、お魚が超美味しいこと、人が優しいこと、夕方の市内放送で流れてくるイエスタディのメロディに最初の頃はホロッとしたこと。全国から80人位の派遣職員がいるのでいろんな情報が聞けて学べる事。秋元さんの以前の体型はLサイズ。でも今はヘルシーな食べ物と適度な運動でスリムな体型に変わったそう。訪問した間借り中の赤崎小学校では女性の教頭先生から、いつもお世話様です。助かっています。と大いに感謝されていました。彼の任期は2015年3月で終わります。一年間ご苦労様でした。数々の学びがこれからの仕事に大いにいかされますように祈ります。 

続き:碁石海岸レストハウス・小川さん

 

2014年の3月に津波の語り部として和光市までいらして下さった小川さん。本業は碁石海岸のレストランハウスの 事業主。菓子工房幸福堂の代表、クリーニング業など。様々な活躍の場を持つ実業家でいらっしゃいます。

 かつて青年期に起業に関心のあった小川さんは「オール生活」という雑誌を読んでいました。ある時「若手企業家を育てる会」の記事を見つけました。 その会に入会できた小川さんは販売の夢を実現したいという切なる思いを抱いて東京に通いました。2か月に一度の学びの場。主催者の邱 永漢氏からいただく新鮮な知恵と知識。夢を抱いた仲間達との交流。それらは青年小川廣文をどんなにかわくわくさせたことでしょう。

  永漢氏は台湾の人でお母さんは日本人です。日本に留学し東大経済学部で学びました。直木賞作家でありユニークな経済人です。もう故人ですが、小川さんが青年期にこういう一流の人物の薫陶を受けられたことはなんという幸運でしょうか。

 入会申込の際、サラリーマンの小川さんは条件に合わないと断られたそうです。しかし福の神の采配でしょうか、数日後キャンセルがあったのでどうですか?とお誘いの電話が入ったのでした。

 若手の実業家で二代目、三代目の方たちとの交わり、青年小川さんは何を学び成長していったのでしょう。サラリーマン家庭に育ち自身も国鉄の職員として働く環境にいた小川さんです。その後、若い日の夢が叶って地元で起業して実業家になりました。このような大先輩が存在していることは、夢を持った若い企業家にとって大きな励みになることでしょう。

 大船渡市には起業支援室(内線:115)があります。定期的に送ってくださる広報紙を見ているといろいろな活動を展開しているのが判ります。市民も行政も同じ方向を向いている、チャレンジを恐れないエネルギーを感じます。大船渡はこういうタイプの人が育つ土壌があるのかもしれませんね。

 

 レストハウスのメニューにさんまラーメンがあります。好奇心から迷わずこれをオーダーしました。食べやすく調理したみりん干しのさんまがラーメンの上に乗っているダイナミックなラーメンです。ゴマをふった白いご飯の浅漬の小皿も添えてあります。派遣職員の秋元さんと主人と三人で食べ始めました。美味しい!三人とも満足して箸を置きました。 

 ラーメンだけでなく、少量のご飯と漬物。これが素敵な心遣いで何かホッとしました。またいつか食べたい味です。大船渡は秋刀魚の水揚げ量が本州一とのことですから、サンマを使っての町おこしは大いにやりがいのある事業だと思います。サンマラーメンは他にもいろんなお店が工夫して参加しているので、食べ比べるのも楽しそう!

 食事の後、私たちは1階におりておみやげ品の数々を見て回りました。魅力的なものおいしそうなものがあふれています。観光客の皆さんにまじって私たちもたくさんの買い物をしました。イカせんべいはこの店内で作られています。
 そろそろ約束の時間です。再び2階のレストランに戻り私たちは小川さんを待ちました。外を見ると雨が上がって爽やかな空になっています。14時になりました。あの和光まで来てくださった小川さんがにこやかな笑顔で登場、感動です。それから二時間様々な話をしてくださいました。
 サンモノの話は印象に残りました。よそモノ、わかモノ、ばかモノ(良い意味で)が世を変える。変える力を持っている。という内容だったと思います。マンネリからの脱却、新しい流れを作っていくエネルギーなど、この3モノに感じます。ポール・ジェンマイヤーを知っていますか、と聞かれました。成功哲学を説いた米国人で、このポールさんからも多くを学んだようです。挑戦する人、成功する人になりたい、と強く思ったそうです。

 アイディアマンの小川さんはラーメンだけでなくおみやげ品のイカせんべいにも力を発揮しています。かつて和光市社会協議会主催のつながりカフェというイベントで、東北の物産品販売の中にこのイカせんべいがありました。私はパッケージのデザインがなぜかとても気に入って2つ買いました。
 イカせんべいはイカの味のする美味しいせんべいです。が、私が驚いたのは、その袋のデザインなのです。今まで見たことのない箱のアイディア、イカの顔の愛らしさ。箱を持ったときに何気なく感じる幸福感。おせんべいを食べた後も、その赤い箱はきれいにたためるようなデザインなので大切にとっておきました。
 イベントから半年たって9月に小川さんへの取材が実現した時に、私はこの箱を持っていってお見せしました。すると、これは私がデザインしたものです、と。小川さんは創造的な方だと判りました。
 レストランハウス内の二階のトイレ内もユニークです。金子みすゞの詩が壁面を飾っています。挿絵も非常に美しく画廊にいるような気持ちになりました。小川さんはみすゞの詩が好きで、みすゞのカレンダーを求めた時にこのアイディアが浮かんだようです。トイレにかわいい花を飾る、これは普通の考えです。でも美しい想い、美しい言葉を飾る、そういうトイレは少ないと思います。私もみすゞの詩が好きです。心に残りました。

 

 

  碁石海岸のあの黒い小さな石。本当に碁石に似ています。
その石に注目して町おこしをやってみよう!という話題が2015年の2月のお知らせ版に載っていました。
大船渡を囲む碁の町として大いに盛り上げよう、というアイディアです。
3月には初心者からベテランまで楽しめる内容でフォーラムが開催されました。
 「やさしい囲碁入門講座」もあって無料で教えてくれる、というものです。私も初心者の一人です。将来やりたいゲームの一つなのでとても興味があります。発展するといいですね。取材旅行から帰宅後、私はすぐ囲碁に似せた黒いクッキーを作って、大船渡の思い出を形にしてみました。(黒い色付けは備長炭パウダーで)本当に不思議な黒いすべすべの小さな石たち。どうしてココにいるの?・・・ユニークな海岸です。
 レストハウスの近くに立派な建物があります。2階のレストランから見ると温室のような、そこが椿館でした。時間がなくて入れませんでしたが、市立博物館も近くにあって、両方見ても400円という入りやすい料金にしてあります。人口4万人くらいの町に博物館とは!立派なコンサートホールや図書館も見せていただきました。なんとなく感じる、文化的センス、教育や精神の高さ。大船渡市民の根っこの部分を豊かにしているのはいったい何なのでしょうか。知りたいものです。
 大船渡市の市の花は椿です。英語ではカメリア。椿の種類は世界中にたくさんあるそうで、ここの椿感で見られるのは6000種類位。熊野神社というところには樹齢1000年以上のヤブツバキが保全されているそうです。椿まつりは毎年3月に開催されます。大震災の年は中止になりましたが、次の年からは再開されました。
 椿が咲くたびに町の復興も進んでいくことでしょう。いつかぜひたくさんの椿さんたちにも会いたいと思います。特に千年生き続けているヤブツバキさん、あなたに会いたいです。元気でね。

(まちの見聞特派員:都築和枝 

戸田公明市長のはなし

大船渡市は2011・3.11、長い町の歴史の中で最大のピンチにみまわれました。マグニチュード9.0という大地震、未曾有の大津波の襲来。

自然の脅威の前に町の人達はどのように向きあって生きてきたのか。この様な非常時に市民のリーダーとしてトップに立っている人はいかに対処し、いかに復興の舵取りをなさっているのか。市長さんに直接お目にかかってお話しを聞きたいと思っていました。

そして震災から3年たった2014・9/24 に”お会いしましょう、どうぞ”という幸運がやって来ました。

ここは市長室です。市長さんのお名前は戸田公明。60代半ばで貫禄のある柔和な雰囲気の方です。

大船渡市・10代目の市長として選出され、3か月たった3.11。3月市議会の最中に大津波警報を聞きました。 

”そのときの戸田さんの胸中はどんなだったでしょう。”

”津波はいつか又くる、と子どもの頃から聞いていました。それが今日なんだ!と長い揺れの中で腹をくくりました。”

戸田さんは事後処理の大混乱の中を淡々と公務に向き合って来たこと。週があけて火曜日、この日から全部長を集めてミーティングすることを毎週続けて今日に至ったこと。その際、市長として気付いた当面の課題事項をメモ形式でペラ一枚に打ち込んだこと。強調するところは赤文字で、自分の伝えたい事を文字化することで聞き間違いを防げる。正確に伝わる、と思ったそうです。

分厚い東の中の一枚を見せていただきました。。A4サイズでとてもスッキリとした表現です。四年間このようにして復興事業を進行させてきたのですね。

異常事態の公務はストレス一杯で体によくないように想像しますが。戸田市長の場合は辛い事をあまりストレスと感じない、いつも淡々としている、という方のようです。修羅場向きといいますか、こういう方がこのような時期に市長に選出された、という事実は天の配剤とでも言うのでしょうか。あるいは市民の皆様の先見の明のなせる技とか。

さてその時の投票率ですが、なんと76.55%です。市民の市長選への関心の高さがこの数字に現れていると思います。そして、3か月後あの大津波がやってきたのでした。

戸田さんの略歴が2015年広報12月号に記載されているのを見つけました。昭和24年生まれ、三陸町吉浜の出身です。大手の清水建設に入社。14年後ハーバード大学に社命留学。その後上海、北京、香港の各営業所長を暦任。香港では熱しやすく冷めさすい日本人に比べ、英国人は人としての本当の強さ、したたかさがある事も知りました。

アジア圏で外国語を駆使して営業を前進させ成果を上げていく――凡人の私などから見ると御苦労が山の如くありそうですが、戸田さんはそういうところで淡々と24年も仕事を続けてこられた方です。きっと折々にふさわしい対処法が自然に身についたのかもしれませんね。戸田さんの健康の元は朝風呂と夕刻一時間位の散歩、アクエリアスを飲むことです。好きな言葉はfair

さて、大船渡の復興支援には外国人も参加してくださいました。まず3/12に打診がありアメリカ人、イギリス人からなる国家救援隊220人が3/14に到着、すぐ各戸をまわり死者の確認をしてくれた。一週間も働いてくれた。3月下旬アメリカのボストンからオールハンズが来て8か月の間延べ1,000人の人が働いてくれた。和光を始め国内の援助も沢山いただいた。戸田さんはこの大震災を経て人のつながりは濃い。薄くはないと認識を新たにしたそうです。

ところで人生は夢を持つ事が大切な事とされていますが、市長はどのように受け止めておられるでしょう。「市民が目指す夢を実現できるように行政にできるお手伝いをしていきたいです。」このお手伝い姿勢は広報誌を読んでいて私にも伝わってきました。例えば起業支援室の存在もその姿勢を感じることが出来ます。

^市民憲章を大切にする姿勢も市民の夢に寄り添っているように思います。何かのイベント、大会等の時はまず市民憲章を皆で読み、市歌を歌って式を進行する、というのです。そんな時市民は自分の町を誇らしく思うのではないでしょうか。憲章を大切にする町は栄えていくと思います。

ところで市長に選ばれ市役所に入って来た時、戸田さんは何か沈滞ムードを感じたそうです。このムードから抜け出さなければ町は貧しくなると強く思った、と。そしてマンネリの脱皮をかかげ市の課題をひとつひとつつぶしていく地道な作業を進める中で、嬉しい変化が見えて来たこと。戸田さんはニッコリと笑って”ホームページの情報発信数がかなり増えて来たんですよ、ほらっ”と数字を見せてくれました。こういう行政内の変化は市民にも良い影響を与えると思います。というのは、市長を先頭に行政は本気で仕事に取り組んでいるという理解は市民にとってどんなに嬉しい事でしょう。

戸田市長をトップに大船渡職員は一丸となって復興事業に取り組んでおられます。やがてすべての計画事業は達成されていく事でしょう。なぜなら意識の高い市民達の熱い眼差しが、職員方の背中を押し、ハートを燃やしてくれると思うからです。10年後20年後の大船渡に期待したいと思います。

ともあれ和光市は平成27年度も職員を派遣して応援を続けます。わたし達市民もさらに温かい眼で復興を見守っていきたいですね。よろしくお願いします。

結びに、戸田市長、行政の皆さん、大船渡市民の皆さん、御体に気を付けて復興事業を頑張ってください。素敵な明日のために。