令和3年度和光市平和祈念事業
和光市では、戦争の悲惨さや平和の大切さを語り伝えることを目的として、平和祈念事業を行っています。
平和祈念パネル展示会を開催しました
会場には、被爆体験証言者と高校生との共同制作による「原爆の絵」の他、埼玉県内の被害や当時の様子を記録した写真、和光市での戦争体験を描いた絵本「あの日の空色」(和光市文化団体連合会作成)、被爆アオギリ(広島)・クスノキ(長崎)と市内に植樹されたそれぞれの2世樹木の写真などを展示しました。
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終戦から76年経過し、人々の記憶から戦争の惨禍が忘れ去られようとしています。しかし世界に目を向けると、現在もなお、武力での衝突が後を絶たず、多くの方々が平穏な日常を奪われています。
この展示会を、戦争の悲惨さ、平和の尊さを改めて考える機会としていただけたらと思います。
ご来場くださいました皆様、誠にありがとうございました。
<来場者アンケートより(抜粋)>
・戦争の怖さがわかりました。
・和光にも空襲があり、大きい被害があったことを知れました。
・当時の写真が印象に残りました。
・現在、平和について考えることが大切であることを皆、痛感していると思います。
アンケートにご協力いただきました皆様、ありがとうございました。
平和祈念パネル展示会
開催期間 |
令和4年3月11日(金曜日)~3月16日(水曜日) 午前9時~午後5時(最終日は午後2時まで) |
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会 場 |
和光市民文化センター 展示ホール ガラスケース内 |
内 容 |
【展示】 被爆体験証言者と高校生との共同制作による原爆の絵 埼玉県下の空襲被害 終戦と戦後の苦しい生活 和光市での戦争体験 ~あの日の空色~ 年表 戦中戦後の和光市 平和を語り継ぐ~被爆樹アオギリ・クスノキの植樹と成長~ |
入 場 |
無料 |
平和祈念講演会を実施しました
令和3年10月27日 (水曜日) 、第二中学校において、平和祈念講演会を開催しました。
講師として田中熙巳様をお迎えし、「核兵器のない世界の実現をめざして」と題して、ご講演をいただきました。
コロナウイルス感染症対策として、2年生は体育館で聴講し、1年生は各教室でオンライン中継を視聴しました。
講演では、田中様が長崎で被爆した当時の体験や、核兵器のない平和な世界の実現を望む熱い想いなど、短い時間ではありましたが、直接体験された方の講演を聴くことができる貴重な時間となりました。
今回の講演を通じて、改めて戦争の悲惨さ、平和の尊さを考える機会となりました。
ご講演いただきました田中様、ご協力いただきました皆様、誠にありがとうございました。
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< 講話内容への感想(アンケートより抜粋) >
・原爆の恐ろしさを改めて感じると共に、原爆の威力や被害を見ただけでは分からない、被爆者の生々しい避難の様子が分かるような講演でした。
・原子爆弾って一瞬にして目の前が真っ白になるということを聞いてとても恐ろしいなと思い、逃げる時間もないまま、死んでしまうなんて、とても恐怖でしかありません。核兵器を、世界からなくし、次はもうこのようなことにならないように私たちが次の世代に伝えていきたい。
・自分たちよりも小さい時に、命の危険や死に直面していて、なんでこんな思いや体験をしなくてはならないんだろう?という気持ちになりました。自分たちはコロナで学校での楽しいこと(給食や行事など)がどんどん消えて文句ばかりいっていたけれど、そんなことがちっぽけになるぐらい辛い中学校生活でびっくりしました。もうこんな思いをする人がいなくなればいいと願います。
・今でも、平和でないところがたくさんあるし、紛争があったりもするが、和光では昔どうだったのか気になった。人が苦しんだり悲しんだりしてしまうこともある中での平和だと思うので、昔を考えて、今を保って、今を良くすることが大切だと思った。
第二中学校のみなさん、アンケートにご協力いただきましてありがとうございました。
講演者
田中 熙巳 (たなか てるみ) 氏
埼玉県原爆被害者協議会名誉会長
元日本原水爆被害者団体協議会事務局長・現代表委員
元東北大学工学部助教授
元十文字学園女子短期大学教授
工学博士
●プロフィール● 1932年生まれ。 1945年8月9日、当時13歳の時、長崎で爆心地から3.2kmの地点で被爆。 5人の身内を一挙に奪われ、伯母を野原で荼毘に付す。 2018年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた。 |
担当名:総務人権課 文化交流担当
住所:〒351-0192 和光市広沢1-5 市役所3階
電話番号:048-424-9088 FAX:048-464-1234
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